こどもたちへのメッセージ

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第1回

子どもの頃の米吉さんは?

 とても絵を描くのが好きでね。俺は絵が描けるぞ、という自信を持っていた。小学生の展覧会に出してもらって、いろいろ賞 ももらって、そういうのが自信になっていたと思う。「大きくなったら絵描きになるぞ」とすでに思っていたよ。でも実現 するのは難しかった。
 親父はういろう屋で、職人気質だったから、「絵描き」はあまり望ましい職業と思ってなかったんだな。昔の人は「絵描きは貧乏」 というイメージがあったから、そういう方向へはなかなかすぐにはうまくいかなかった。
 その頃は模型飛行機や船を作るのも好きだった。模型といっても木で作る素朴なものだけどね。よく作っていたよ。子ども心 のなかに、その後の造形というか、ものづくりへの非常に強い気持ちがあったね。
 飛行機は、プロペラ飛行機もおもしろいけれど、グライダーの、空気に乗る飛び方のほうがおもしろかった。グライダーを飛 ばしたことがある人なら誰でもわかると思うけれど、スーッと手元を離れて空気に乗ってすべる感じは、言葉では言えない、 どういったらいいか…、胸の中にスーッとくる、空気に乗って流れるような、無限にどこまでも行ってしまうような、胸躍る すばらしい快感があった。81歳になった今でも、あのグライダーのすべるような感じが心に残っている。それが今の作品に も映っているという実感があるね。
 子どもの感情は新鮮な感じがある。今の子も、今、そういう経験をしている子もいると思う。遊びのなかで気持ちよくできる こと、できたもの、一体になれることを、たくさんの子がもっていると思う。それは心の深いところに入ってくるんだ。そう いうことに出会うのは大切なことだな。子どもの頃といえば、そのグライダーのすべるような感じが、今の彫刻に生きている ということを思い出すね。

好きな教科は?

 昔は数学といわずに「算術」といっていたけれども、どちらかというと、そういった「理科」のほうに興味を持っていたね。 もちろん絵を描くことが一番好きだった。風景写生もしたけれど、模写もたくさんした。『少年倶楽部』という本があってね、 その中にある昔の武士などをよく描き写した。源為朝とか、源頼朝、源義経なんかの挿絵があると克明に模写したよ。あんま り一生懸命にやりすぎたんだな。そのせいで近眼になったと思うけどね。本気になりすぎた。まあ、身体は大事だから。用心 しないといけない。

健康のこと

 身体のことといえば、44歳頃、右目に眼底出血したよ。とてもひどくてね。「ドッキング」の作品を作っているときだった。これは目をよく使うし、酷使する作品だっ た。その他に、朝4時からはういろう作りもしていてね。睡眠も取らずに、早朝からういろうを作って、夜中まで作品を作って、目は酷使するし、労働過重して目を 悪くしたんだな。右目はほとんど見えなくなったんだ。
 ドッキングはすばらしい発見だ!と思ったときに悪くなったから、「美術家として一巻の終わりだ」と思ったな。今では治療して良くなって、なんとか視力は戻った から、仕事ができている。いずれはいまある白内障の手術もしなきゃと思ってはいるけどね。
 生活、美術を徹底的にやりたいと思って、克服もでき、新しい仕事もできるようになった。いろんな障害もあるかもしれないけれど、「乗り切ろう!」と思えば乗り 切れると思った。それまでと違う健康状態でもあきらめなければ、同じようにできるんだ、という実感があった。あの時、もうだめだと思ってあきらめていたら、今の仕事はなかったと思うね。







第2回

心に残っている子ども時代のできごとは?





Untitled No.96-4-1985 作家蔵

 少年・青年期を過ぎた頃は第二次世界大戦の真っ只中でね。毎日重苦しく、不自由で、不安な生活をしていた。そういう戦争はもう絶対あってはいけない。人を不 幸にし、社会を壊し、国を不安にするのは、絶対いかんと思っている。
 あの時は徴兵検査というのがあって、若い男子は軍隊に入ることになっていたが、工業系の人は学徒動員で工場に行き兵器を作っていた。僕は宇部工専(宇部工業専 門学校、現山口大学工学部)の2年生の頃、下松の笠戸工場に行ったんだ。笠戸工場は機関車や輸送潜航艇(潜水艦)を造っていた。
 輸送潜航艇というのは南方へ物資を運ぶためにあった。飛行機や船で運べば爆撃されてしまうから、海のなかを潜って運んだんだ。僕はその設計課に配属されて、 設計をしていたんだ。学生なのでそれほど詳しいことはやらせてくれなかったけどね。

 潜航艇というのはバランスが大事なので、重量計算やバランスについて考えたのがその後の作品に役立ったな。前に話したように(連載 1)、親父が美術学校へ行く のを許してくれなかったから、工業系に行ったんだけれどね。
 潜航艇も、最初は小さいのを作っていたけれど、そのうち大きいのを作るようになって、進水式(潜水艦などを初めて水に入れる儀式)をやった。僕とあと2人で3人の学生が船体のなかに入ってね。 船が水のなかに潜ったとき、船体がどうひずむかの計算をさせられたんだ。
 潜航艇だから、なかにはいるとハッチを閉められて、閉じこめられるんだな。船体の断面は丸いのだけれど、そこに管が通っていて、水圧がかかるとゲージが動く。 そのゲージをじっとみつめているというたいへんな役目だった。
 進水式には宮様がみえて、船体と港をつないでいるロープを切ると船体が水に入っていく。外では楽団が軍艦マーチをわんわん奏でていたよ。
 そうして水に入ったら、船体が傾いたんだ。中に入っている 3人はびっくりしてね。大きな機械はまだ入っていないが、十分に計算していたのに傾いた。海のなか でバランスをとれるように直すことはできたけれど、そのとき身をもってバランスの大事さをしったね。そういうことが学生時代にあった。


 展覧会に出品している鉄箱が浮遊する作品をつくるときは、なかに入って仕事をしなきゃいけない。大きいもののときはすっぽり身体が入るくらいだ。そうすると 四角体のなかで、私の身体もふわーっと動いている。そうしてる時、ハッと気付いた。 若い頃、こういうことがあったなーって。それが笠戸工場の進水式のことだった。
 若い頃のことをずーっと忘れないで作り続けているのではなくて、作ってからハッと思い出した。あのバランス経験のことはもう忘れていたのに、ずーっと潜在 的には残っていたと思うんだ。作品のなかでグラグラしながらやってたときに、あ、前に同じことがあったな、とよみがえってきたのは大きなショックだったね。


 一人の人間の体験は、その人の生活や人生の中で非常に大切なものになる。経験を大事にして人生で活かすということになれば、生活を前向きにさせると思うね。
 潜航艇のバランスという経験はたまたましたことだ。工場にはいろんな仕事があったけれども、その中で設計課に入ったのは大きな意味があったと思う。でもそ の頃も、絵を描きたい、という気持ちはあったね。







第3回

美術家になったのは?

 ようやく絵を描けるようになったのは、山口市の宮野中学校に理科の先生で就職したときだった。 そこで油絵を描いている先生がいて、その方の影響でまた描き始めたんだな。26、27才くらいで、ようやくだ。 普通の人は 20才前から美術学校や芸大へ行って描いていたが、私は 26才くらいだった。
 僕には兄がいて、家のういろう商売を継ぐことになっていたんだけれども、戦病死した。戦場で病気になって、大阪陸軍病院で亡くなってね。 だから親父はいっそう、僕に家を継ぐように言った。だから普通の人よりずっと絵を始めるのは遅かった。
 山口で先生をしながら絵を描いていたのだが、本当にやるなら先生をやりながらじゃだめだと思って、やめて、東京に出て行ったよ。 親不孝そのものだけどね、家のういろう商売も、親も捨てて。
 でも、絵の方向を突き進みたいと思って家を出て行ったけれども、何をつかんでいいかわからない状態だった。 東京では重苦しい、むなしい生活をしていた。


 ある時、食堂の白黒テレビに点字のイメージが出てきてね。表面のブツブツしたその感じが、独り言をブツブツ言っている自分のむなしい生活のイメージにあったような気がした。そこで、点字について知りたいと思って、新宿の点字図書館に行っ てみた。
 点字図書館に行ったことはあるかね?書庫の中は白一色の点字が無限に続いているんだ。僕はそのイメージにとても強く心 を打たれてね。それを作品にしたいと思った。


点字A(部分) 山口県立美術館蔵



Docking B・W20 山口県立美術館蔵

 どうしたら点字で作品を作れるか。自分で点字を打ってみたりしたけれども、点字を打つためのもっと大きい道具を自分で作って、作品を作り始めたよ。ここで点 字を発見したのは、その後の僕の空間的な作品の主題に延長してきたというので、大事なことだった。
 点字は 6つの点で 48文字の全てを書けるようになっている。6つの点で全ての言葉を伝えることができるのは本当にすごいね。点字には形象性がなくて、本当に 点の組み合わせだけで伝えられる機能的(役に立つ)な伝達方法なんだ。機能性のエッセンスだと思うね。そこから次第に、僕の作品は「機能性」の方向へ進み始め たんだな。


 「機能性」は人間の生活を豊かにするために、また人間の思っていることをいい方向へ行かせるためにある。上手に使えば人間の文化や生活を良くしていくんだ。 ところがこれを欲のために使うと、人間の生活をだめにしてしまう。
 科学でも「機能性」の最先端である原子爆弾というのがある。いかにたくさんの人をいっぺんに殺すか、ということを追求して作ったもので、これは「機能性」の 最大の悪だ。そんなことを点字で考えるようになって、その後の私の作品のなかで「機能性」は「危機感(不安な感じ)」として残っている。
 その後、リングの「ドッキング」が生まれた。宇宙船のドッキングは科学の機能性の最先端の技術で、みんな喜んでいたけれども、私は機能性が先端的に進みすぎ ると人間性を壊すんじゃないかと思った。この「ドッキング」は宇宙船のドッキングを危機感としてとらえたものなんだ。
 当時そういうふうに思っていたことが、現代ではそのまま危機的な状態を作るようになってきた。大気汚染、地球破壊、さらには、宇宙破壊への方向もある。だから、 機能性は悪い方へ進んできていると思っている。だからこそ僕にとって大事な造形のテーマになっている。
 このことは子供の生活に大事なことだからぜひ伝えたい。子供にも大人にも大切なことだ。人間の生活は便利になって、豊かになってきたが、それと同時に破壊も 目に見えるようになってきた。人間が機能性を求め、欲望をみたそうとしてきたことのつけが目の前に来ている。僕の作品の最初の起こりが、そういうことをみつめ ていたということを伝えたい。自分がやってきたことが、現代の生活に密接に繋がってきたような気がするね。その後、ドッキングをいろんなやり方でやってきた。つ ねに新しくしたいと思って続けてきて、今の作品になっているよ。







第4回

作品のことをもう少し教えてください。

 今の作品は「universality」、「宇宙性」という名前なんだけれども、これには人間と宇宙の関係を込めているんだ。人間 が豊かになりたい一心で宇宙を壊していくと、人間の生活ができなくなってしまって、人間も滅亡する。そういう未来が考え られるようになったからなんだ。
 「宇宙」には「自然」も入っている、地球は宇宙の一部。宇宙の持っている真理が地球の上にもある。それを人間が壊そうとしている。そういうので宇宙の真理を大事にみつめたいと思っている。「ドッキングからの視線」というのは、そういう宇宙の真理をみつめたいと思っているということなんだ。
 「universality」では、穴からなかをのぞくと向こうの穴からさらに向こうがみえたり、無限の視線の方向がある。これも宇宙の真理だと思う。またそのなかには、無限の時間もある。視線の移動のなかにね。これは点字をテーマにした作品から新し い方向が出来てきたところだと思う。



Universality(自己・非自己) No.824-2007 作家蔵



 「自己/非自己」とうのはね、僕は 3年前から花粉症になってね。免疫について調べ始めたことからなんだ。 それで人間のからだは本当にすごいと思った。もちろんすばらしい無限の力があるとはすでに思っていたけど、免疫を通して実感したんだな。
 免疫というのは、からだの外から「自分でないもの(非自己)」、つまりばい菌や移植の臓器などが入ったとき、「自分とちがう」といって排除することだ、と思って いたら違うんだな。
 最初は入ってきても、他者だとか非自己であるとはすぐには決め付けない。入っ てきて徹底的に攻撃するわけじゃないんだ。まずはどんどん自分にとりこんで、分 解し、分解した断片が出てきたときに初めて、「自己じゃない」と判断して猛攻撃を始めるんだ(多田富雄『免疫の意味論』青土社、1993年)。自己を認識すること で非自己を認める。その非自己の認め方が僕には不思議だった。これが宇宙のもっ ている無限の真理に繋がると思った。
 人間の知覚だけでは感じ取れない、無限の深さをもつのが宇宙の真理。そのひと つが「自己/非自己」だと思っている。


みんなへのメッセージ

 本当に伝えたいのは、子ども、中高生時代のいい感性を持つときに、自分のなか にぶつかってくる驚きや感動があったら、それをどんどん自分のなかで追求してみてほしい。また、それを心のなかに深く閉じ込め、持っておくことが大事だと思う。 それがいつか自分の生活や仕事、自分自身の文化に、深く影響すると思うから。そういうことにしっかり目を向けて、不思議さ、面白さをじぶんで探すことがとても 大事だと思うね。
 それから、戦争の怖さ、無意味さ。人間をどんどん抹殺していく戦争は本当にもう絶対にやってはいけないと思っている。みんなはまだそういう経験はないけれど も、僕のなかでは本当に戦争はなくさないといけないと思っているんだ。
 自然はあるがままに生命を育てていて、どんどん変わっていく。新しい方向へ向かっている。無限の可能性があるんだ。







第5回

今回の展覧会をどのようにみてほしいですか。

 会場や作品をみて、おもしろいと思ったこと、不思議に思ったこと、日ごろ自分が思っていることとつながることがみつかったら、それをしっかりみて、自分のなかにどういう思いがうまれてくるかを感じてほしいね。
 そういうことは自分のなかで大切な、深いこととしていつまでも残るから。いつの日かそれが思い出されて、自分のなかで新しいことやもっとおもしろいこと、役に立つようなことを生みだすようになると思う。
 日ごろみているようなこと、あるいは生活のなかで感じていることとは違うことが、今回の展覧会やわたしの作品のなかにはあると思う。「発見」というのはいろんなときに出てくるものでね、日ごろ自分が考えてもいないことはいろいろなところにあるから、そういうのがこの展覧会でみつけられたらいいね。
 自分で絵を描くときやものを作るとき、勉強などの面でも、展覧会で感じたことがいろいろなかたちで出てくるようなことになれば非常にいいね。


これからどのような作品を作りたいですか。

 展覧会でみられる作品は20~40年前のもう過ぎ去ったときのものなので、今後はそれより新しい表現をやりたい。その方法を今回の新作(Universality)で少しつかんだと思っているし、その方向を進めると思っている。
 でも、「創造」というのは、何が出るかわからない状態でいかに新しいものをつかみだせるか、ということだから、今の段階では次はどういうかたち、方法かとはいえないね。いえない、みえないところからいかに新しいものが出てくるかが、美術の創造。10年先のことはみえないし、考えていない。今、どうかもわからない。
 大事なことは自分が直面している、ぶつかっていることに一生懸命取り組むこと。これだけが何かを生み出すもとになる。今の一瞬一瞬が大事なんだからね。
 昔はもうないし、未来もまだない。今があるだけだから。